津島織物製造株式会社 取締役社長
津島 一登
出身:広島県江田島市
活動拠点:能美町中町
趣味:廃材を使った木工作品の制作
好きな言葉:信念
好きな食べ物:魚と野菜
江田島のここが好き:紙布の製造に適した温暖な気候
今、気になる人:江藤さん(大学時代からの親友)
- 紙布の製造:壁紙を中心にバッグやランチョンマットなど様々な工芸製品をつくっている。
<紙布>
天然素材の紙を染色した糸で織りあげられた布。
主に壁紙として使用されており、通気性・吸湿性に優れ、夏の冷房時、冬の暖房時にも結露しにくい「呼吸する壁紙」と呼ばれている。長年使っても継ぎ目の部分の劣化が少なく、使い込むほどに味わい深くなるという特徴も持っている。
- やれることはすべてやった。今後については後継者である長男に託している。
- 工場見学を受け入れることができます。
- 地域の活動について、必要に応じて紙布を材料として提供できます。
- 江田島市民:まずは地元の人々に紙布のことをもっと知ってもらいたい。
後藤記者の取材後記
(取材日:2016年10月20日(木))
国内に2社のみ残る200年以上の歴史を持つ伝統産業
津島織物は数少ない江田島の伝統産業の一つである。創業はなんと明治23年。一登さんの曽祖父にあたる津島小太郎氏が津島織物を設立し、綿織物の製造を始めた。当時、瀬戸内海沿岸での綿織物産業は競争が激化しており、新たな織物産業を開拓するべく、2代目の芳松氏が紙糸を発明した。そして3代目の澄人氏が工場を新設し紙布を壁紙として本格的に製造し始めた。
津島一登さんは4代目として、高度経済成長期において機械化に着手。紙布業界では革新的だった織機(紙布を織る機械)を日本で初めて導入するという偉業を成し遂げ、会社の発展に寄与した。ご自身は謙遜して先代の偉業を称賛しているが、3代目の時代には全国に50社あった紙布製造会社も現在は静岡の会社と津島織物の2社のみとなっている。バブル期以降冷え込む日本経済の中、競争の激しい業界でこれまで会社を続けてきたことはすごい功績だと感じた。
人との縁も織りなされてここまでこれた
津島一登さんはとても謙虚な方だ。激動の時代を乗り越えてきたから大変なご苦労もあっただろう。「ひとつの商売を続けることは大変だが、ここまでこれたのは周りの人に恵まれたから」と言う。
~先代が立派だったから受け継ぐことができた。
~紙糸を製造する会社が良い仕事をするから良い紙布をつくることができる。
~革新織機を納品してくれた会社があったから続けられた。
~取引先の社長が背中を押してくれたからここまでこれた。
これまで関わってきた人や会社への感謝の気持ちがとても強く伝わってきた。人との縁を大切に織りなしてきた姿勢が、津島織物の製品にも表れているのではないか。
やれることはやった。次の世代につなぐ意思。
今後やっていきたいことは?という質問に対し津島さんは「やれることはすべてやった。あとは後継者の息子に任せている。」と答えた。どんな仕事でも、自分が引退する前に「やれることはすべてやった」と言えるほど幸せなことはないのではないか。
さらに、長年続いてきた伝統産業を受け継いでくれる息子さんがいる。「自分が入ると息子が育たない」と、すでにほとんどのことは息子さんに一任している。長年自ら担ってきた仕事を一任するのは相当の勇気が必要だろう。だからこそ次の世代が育つ。そんな教訓を学ばせてもらった。
人物ストーリー
- 江田島市能美町中町出身
- 広島市内の高校に通学し、九州の大学へ進学。
- 神戸市の企業に就職し社会人生活を送る。
- 父親が体調を崩したため、神戸市での社会人生活を3年で終え、Uターン。
- 24歳で社長に就任。取引先の指導・支援等により革新織機を導入するなど、積極的に事業を展開してきた。
- 50年近く紙布製造業に従事。2016年より実息が工場の運営を本格的に受け継いでいる。
連絡先
津島織物製造株式会社
取締役社長 津島一登
住所:江田島市能美町中町2267-2
Tel:0823-45-2626
HP:http://sihu.jp/
※コンタクトを取る際は、「江田島人物図鑑を見て」と告げるとスムーズです。
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