“兄弟で受け継ぐ完全天日干し製麺”

産業観光

 

 

迫製麺所

(兄)さこ 勇介ゆうすけ (写真右)

(弟)さこ 寛和ひろかず (写真左)

出身:広島県江田島市
活動拠点:沖美町三吉
趣味: (兄)旅行・芋焼酎の酒造巡り /(弟)イベント出店
好きな言葉: (兄)晴天無風 /(弟)がむしゃら
好きな食べ物:(兄)酢ガキ /(弟)汁なし担々麺
江田島のここが好き:(兄)海・カキ /(弟)がんばろうとしている人を全力で応援してくれる風土
今、気になる人:(兄)迫製麺のお客さん /(弟)江田島市内の経営者

 

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  • 完全天日干しにこだわった熟成干麺(うどん、そば、そうめん)の製造・販売
  • 物産イベント等への出店

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  • 加工場を建て替え、天日干し製法にこだわりながらより多くの人に商品を届けたい。
  • 将来的には雇用も増やせるようにしたい。

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  • お中元、お歳暮、内祝いなど贈答用の一品としてご提供できます。

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  • 江田島市内の生産者。例えば、カキや農産物を練りこんでオリジナルのうどんを開発したり、他の特産品とセットにしたギフトを開発したい。

 

後藤記者の取材後記
(取材日:2017年3月14日(火))

 

熟成乾燥!奥深き完全天日干し製法

迫製麺所のこだわりは“完全天日干し製法”でつくる干麺である。
正直、今回取材するまでは「天日干しにこだわっていてすごいなあ」くらいにしか思っていなかったけど、実際に現場で取材してみると想像以上の“手間ひま”がかけられていることを知った。

【製麺の流れ】
① 複数の天気予報から翌日以降4日間ほどの天候を読み取り、生産スケジュールを立てる。
② 朝早くから製造準備。その日の気温と湿度によって粉と塩水の分量を決め生地を練る。

練りながらも生地の状態を確かめる。粉と塩水のバランスが天日干しにも大きく左右する。
ちょうどよい状態の生地。生麺に比べて水分が少なく、その分原材料費も割高となる。

③ 練った生地を均等に伸ばしロール状にまとめる。

練った生地をロール状にまとめる。

④ 巻き取った生地を麺状に裁断する。

裁断された生地を棒で掬い取り棚にかける
次々に出てくる麺に手際よく鋏を入れ長さを切りそろえる。

⑤ 麺を外に運び出し天日干しする。

天候・時間と闘いながら見た目以上に重い麺を運び並べる。

⑥ 麺の表面の乾燥具合をみて室内に入れる。

天日干しによって麺の表面が乾燥し内部は水分を含んでいる状態。室内に入れることで内部の水分が表面にしみ出し、曲がっていた麺が再びまっすぐ伸びる。

⑦ 天日干しと室内干しを4日間ほど繰り返し干麺ができあがる。

天日干しの風景。天日干しと室内干しを繰り返すことで麺の熟成が進み旨みが凝縮される。
4日以上かけてできあがる迫製麺所の商品。

ものづくりの現場にはいつも興奮する。
そして、なぜこの地でこんな作り方をしているかに納得する。
この日は天気が良く、海から柔らかな風が吹いてきていた。
温暖で晴れの日が多い瀬戸内の気候、そして風に乗って海から運ばれてくるミネラルが麺に含まれることによって迫製麺が完成する。
それがこだわり。
だからこそこの場所で手間ひまのかかる完全天日干し製法にこだわっているのだ。

 

創業74年 兄弟で受け継ぐ伝統

昭和18年に創業した迫製麺所は現在4代目。
勇介さんと寛和さんが兄弟で受け継いでいる。
機械化が当たり前の時代に、昔からの天日干しの製麺業を受け継ぐには相当の覚悟があったと推し量る。

実は、先に受け継いだのは弟の寛和さんで一昨年の8月。
お兄さんの勇介さんは昨年末から手伝い始めた。
先代のお父さんが病気になり、製麺業を続けることが難しくなっていた中、
寛和さんが戻ってきて病床の父親からできる限り作り方を学んだ。
間もなく、お父さんは他界された。
機械の使い方も麺の干し方も探り探り、失敗続きの中、一人で1年間がむしゃらに製麺業を続けた。
少しずつ技術も板につき、新しい顧客も増え、一人では手が回らなくなってきた昨年末、勇介さんが長年勤めていた会社を辞めて手伝うようになった。

興味深いエピソードは、二人とも昔は家業を継ぐつもりがなかったということ。
しかも、勇介さんはそばアレルギー、寛和さんは小麦アレルギーだという。
お父さんもいわゆる職人気質で「家業は継がさん。好きなことをやれ。」という方だった。
それでも受け継いだ理由を尋ねると、

「親父の代でつぶれたと思われることが嫌だった。」と返ってきた。

今、お父さんは二人の息子さんが受け継いでいる様子を空から見てどう思っているだろうか。

「兄弟製麺」を枕詞にした迫製麺所の旗。しぶい。
勇介さん(兄)は現在製麺の工程を研究中。今後は営業担当として動き回る予定。
寛和さん(弟)は男気ある職人タイプ。
兄弟二人とも(見た目はいかついけど)明るく気さくでとても気持ちの良い人たち。

 

がむしゃらに頑張っている若者を応援してくれる風土に感謝

江田島市の好きなところは?という質問に対して
「頑張っている人を全力で応援してくれる風土」と返ってきた。

寛和さんがお父さんの後を継いでから勇介さんが戻ってくるまでの約1年間、
ほとんど経験のなかった製麺業を一人で切り盛りしてきたことを考えるとその苦労は計り知れない。
まさに「がむしゃら」だったのだろう。
何回も失敗し何十キロもの麺が廃棄となってきた。それでも続けてこれたのは、
「がむしゃらに頑張っている若者を支えてくれる人たちがこの島にいたから」と言う。
「頑張っている若者を応援してくれる風土」、とても素敵な言葉だと思った。

今、勇介さんが戻ってきた。百貨店など新たな販路も拡がってきている。
加工場も今年の9月に向けて建て替える予定だ。
今は仮設の加工場で製麺しており、干し場の環境も変わって相変わらず失敗もしているが、
兄弟製麺は確かに明るい未来を目指しているように思う。

もとの加工場正面。これから建て替え工事が始まり、今年の9月に新しい加工場ができる。
今は仮設の加工場で製麺している。干し台は迫兄弟の手づくり。

 

 

人物ストーリー
勇介さん(兄)
  • 江田島市沖美町三吉出身
  • 高校時代から広島市内に出る。
  • 運送業などを経て25歳から美容関係の営業職を8年間勤める。
  • 2016年末退職。営業職の経験を活かし今後は迫製麺所の営業を担当する予定。
寛和さん(弟)
  • 江田島市沖美町三吉出身
  • 広島市内の高校卒業後、東京の専門学校に進学。建築学を学ぶ。
  • その後、東京の飲食店に勤めながら、店舗開業について学ぶ。
  • 23歳のときに広島市内に移住し飲食店の経営を担う。
  • 2015年8月、迫製麺所を引き継ぐため三吉にUターン。
  • 翌年1月、迫製麺所の店主を引き継ぐ。

連絡先

迫製麺所
住所:江田島市沖美町三吉482
電話:0823-47-0254
HP:https://sakoseimen.jimdo.com/

 

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